おさくの話
小川未明
おさくは、貧しい家に生まれましたから、小学校を卒業すると、すぐに、奉公に出なければなりませんでした。
「なに、私が、いいところへ世話をしてやる。」と、植木屋のおじいさんはいいました。
彼女の父親は、とうに死んでしまって、あわれな母親と暮らしてきました。おじいさんは、しんせつな人であって、なにかに、二人を気にかけてくれたのであります。
「工場へゆくよりか、夜は、勉強でもさしてくださる、どこかしんせつのお家がいいと、おじいさんは心配していてくださるのだから、見つかって、そのお家へいったら、よくいいつけを守って、働かなけりゃならないよ。」と、お母さんは、いいました。
「お母さん、きっと、よく働きます。どうか、心配なさらんでください。」と、おさくは、目に、いっぱい涙をためて答えました。
「ああ、おまえが、その決心なら、お母さんは心配しません。」
こう、母親は、いったものの、これまで長い間、二人は、むつまじく、朝晩、顔を見合って、暮らしてきたのに、この後は、べつべつに生活しなければならぬと知ると、なんとなくさびしくなりました。しかし、どうせ、娘は、一度は世の中に出なければならない運命であると考えると、こんなに気を弱くしてはしかたがないと、強いて、元気をつくっていました。
それから、間のないことであります。
「おさくちゃんのいく、いいところが見つかったぞ。」といって、おじいさんは、ある日の晩方、機嫌よく、外からはいってきました。
「まあ、おじいさん、それは、どうもありがとうございます。」と、母親は、いって、おじいさんを迎えましたが、うれしいうちにも、いよいよかわいい娘に別れなければならぬ日がきたかと思うと、悲しさが、胸いっぱいになりました。しかし、それを押さえつけて、顔にあらわすまいとして、母親は、にこにこ笑いながら、
「ほんとうに、いろいろ心配くださいまして、すみません。」といって、おじいさんの話に、耳を傾けたのです。
おさくは、だまって、母親と並んですわり、自分の世話されてゆくところは、どんなところだろう……。自分みたいなものにつとまるかしらん? なんとなく、うれしいような、悲しいような気持ちを抱いて、目をかがやかしながら、おじいさんの顔を見つめていました。
「あちらさまは、もののわかったお方だから、正直につとめさえすれば、長く、めんどうをみてくださるにちがいない。べつに、したくはいらない、ほんの身のまわりのものだけ、まとめておきなさい。明日の朝、わしが迎えにきて、連れてゆくから……。」と、おじいさんは、ねんごろに告げました。
やがて、おじいさんは、帰りました。その晩は、母親と娘が、名残惜しそうに、語り明かしたのでした。
おじいさんは、約束どおり、朝になると、じきにやってきました。そこで、おもしろいことをいって、二人を笑わせたり、元気づけたりしました。
「一時間とかからない街の中だ。たまには、ちょっとお暇をもらって、顔を見にくるがいい。さあ、したくがいいなら出かけるとしよう。」
目を赤くした娘をつれて、おじいさんは、出かけました。母親は、独り残されて、出てゆく娘のうしろ姿を見送っていました。
おじいさんは、おさくを静かな高台の門のある家につれてきました。この屋敷へは、おじいさんが、ときどき、植木の手入れにくるのであります。
「まだ、なにも知らない子供で、たいしたお役にもたちますまいが、どうぞ、よろしくお願いいたします。性質は、正直で、いたって、さっぱりしていますが、すこし勝ち気ですから、そんなところも、お含みおきくださいまして、よろしくお世話いただきとうぞんじます。」と、おじいさんは、おさくの方を見かえって、ていねいに、奥さまに対して、頭を下げました。おさくも、ただ、顔を真っ赤にして、おじいさんについて、頭を下げたのであります。
「いや、そういう子なら、わたしは好きですから、せいぜいめんどうをみますよ。帰ったら、この子のお母さんによろしくいってください。」と、やさしそうな奥さまは、いわれました。
話は、こういうようにして、まとまりました。それから、二月あまりもたってからです。
ある日のこと、おさくが、廊下のそうじをしていると、坊ちゃんのほうの室で、電球の破裂したときのような、すさまじい音がしました。
彼女は、なんだろうと驚いて、すぐにいってみました。すると、そこには、十二と九つになる、二人の坊ちゃんがいて、おさくが、あわててはいってきたのを見て、おかしがって笑っていました。
「坊ちゃま、いまのは、なんの音でございますか。」と、たずねた。
「地雷火が、爆烈したんだ。」と、九つになる、坊ちゃんがいいました。
「あの音かい、電燈の球が破れたのさ。」と、十二になる坊ちゃんが、まことしやかに答えました。
彼女は、それらしいようすもなかったけれど、目を円くして、
「まあ、あぶのうございますこと。」といって、あたりを見まわしました。しかし、べつに、ガラスの破片が飛んでいる気はしなかったので、そうでないとわかったから、そのままあちらへゆこうとしたのです。
「おい、もう一度、してみせようか?」
二人の坊ちゃんは、そういって、彼女を呼びとめました。おさくは、なんの音だろうと思ったので、いわるるまま、そこに立ち止まって、二人の坊ちゃんがたのすることを見ていました。
「こんどは、僕の番だよ。どちらの音が、大きいか、やりっこをしようね。」
そういって、弟のほうは、ポケットから、三日月形に折りたたんだ、紙製の風船球を取り出して、空気をいれるべく、吹きました。見るうちに、風船球は、ふくれあがって、小さな掌の上にころがりました。
「おさく、見ておいで、いいかい。」といって、右の掌に、力いっぱいいれて、ふいに、風船球をたたきつぶすと、さすがに、すきまなく張られているだけに、紙の球は、ひどい音とともに、さんざんに裂けて、掌の上に残ったのであります。
「どうだい、僕のほうが、大きい音がしたろう。」と、小さな坊ちゃんは、誇らしげにいいました。
「よし、そんなら、こんど、おれがする番だよ。」
上の坊ちゃんは、自分も、新しい風船球を取り出しました。これを見て、おさくは、二度、びっくりしたのであります。
「坊ちゃまがたは、こんな遊びをするばかりに、新しい風船球をいくつも買っていらしたのだろうか?」
こう彼女は、思うと、だまって見ていられない気がしました。
「坊ちゃま、およしあそばせ。」と、彼女は、いった。
「なぜだい、僕たちのかってじゃないか。」
「兄さん、お母さんといっしょにいって、僕たちが買ってもらったんだね。」
二人の坊ちゃんは、彼女の干渉を気持ちよく思いませんでした。
「だって、もったいないのですもの……。」と、おさくはいった。
二人の少年は、これまで、女中などに、こんな注意がましいことをいわれた、経験をもっていませんでした。
「兄さん、僕たちが、なにしたって、いらんお世話だねえ。おまえ、もう、ここにおらなくていいから、あっちへゆけよ。」と、小さい坊ちゃんがいいました。
「こんなものをついて遊べんから、大きな音を出そうと思っていたのだよ。こんなものを破ったって、なにがもったいない?」と、大きな坊ちゃんは、いいわけがましく答えました。
おさくは、りくつをいわれると、もう、これに答えることができなくなって、目に涙がにじみました。
「もったいないことする人は、ばかですわ。」といって、あちらへ去りました。
二人の少年は、たちまち顔の色が、変わりました。
「ばかだといったな!」と、兄が立ち上がった。
「生意気だね、お母さんに、いいつけておやりよ。」と、弟も、つづいて立ち上がると、もう風船球のことなどは忘れて、二人は、廊下を駈けて、彼女のいった後を追いました。
日ごろは、女中に対して、やさしい、いい奥さまでしたけれど、この日ばかりは、怖ろしい奥さまに見えました。そして、厳格な言葉つきで、
「おまえが、ほんとうに、坊ちゃんたちに、ばかだなんて、失礼なことをいったなら、悪かったといって、おあやまりなさい。」といわれました。
おさくは、うつむいて、目にいっぱい涙をたたえていました。けれど、どうしても、すなおに、自分が悪かったといって、わびる気になれないものがありました。
「自分のいったことは、まちがっていたろうか?」……彼女は、こんなことを頭の中で考えていました。
「悪いと思ったら、はやく、あやまるものですよ。」と、奥さまが、つづけさまに、やや大きな声でいわれた。
このとき、おさくの目に、哀れな自分の母が下を向いて、熱心に、風船球を内職に張っている姿が浮かびました。朝早くから仕事にかかり、夜おそくなるまでしても、きめてある数までは、容易にできなかった。それに、まだ慣れないうちは、糊がよくついていないといって、問屋に持っていってから、母は、小言を聞かされて、しおしおと帰ってきたこともあります。そのときのようすなどが目にうつると、日ごろから、一つの風船球にも、貧しい人たちの並ならぬ労力が、かかっていると思った。自分の考えは正しいので、それをそうとも思わぬほうが、なんといってもまちがっているのだと思われたのでした。
おさくは、そんなことから、とうとう暇を出されてしまいました。
「あんまり、強情を張るものでない。あんないいお家を、お暇なんか取らなくてもよかったのだ。」と、植木屋のおじいさんが、いったときに、彼女は、お母さんが、あれほど、苦心して、風船球を張っていられたのを知るだけに、なんの思いやりもなく、たたき破るのを見ると、つい我慢がしきれなくなって、失礼なことをいったり、また、考えると、くやしくなってきて、つい強情を通す気になったことも、おじいさんに物語ったのでした。
「おまえが、いうことは、ほんとうのことだけれど、強情はよくないことだ。正しいことはいつか、後でわかるときがあるのだから……。」と、おじいさんは、おさくをさとしました。
おさくは、その後は、工場へいって、働くことになりました。そして、お母さんに、孝行をしました。
植木屋のおじいさんは、しばらくたってから、おさくの奉公した、お家へいって、植木の手入れをしていました。そのとき、奥さまは、出てこられて、おじいさんに、
「あの娘は、どうしました? 正直ないい子だったけれど、すこし強情のようでしたね……。」といわれて、
「あの娘のような考えをもつ子は、正しいのです。あの後できた女中などは、ものを壊すと、しかられないうちに、『これを壊しましたから、私が、弁償します。』というのです。買って、返しさえすれば、なにをしてもそれですむという、ああいう考えをもつ子には、まことに困ったものです。」と、話されたのであります。
おじいさんは、縁側に腰を下ろして、きせるに火をつけて吹かしながら、
「じつは、あの子の母親が、内職に、風船球を張っていましたので……。」と語りますと、やさしい奥さまは、いくたびもうなずいて、目に涙をためて聞いていられました。
底本:「定本小川未明童話全集 6」講談社
1977(昭和52)年4月10日第1刷
底本の親本:「未明童話集4」丸善
1930(昭和5)年7月
初出:「教育研究」
1929(昭和4)年10月
※表題は底本では、「おさくの話」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:栗田美恵子
2019年9月27日作成
2020年11月1日修正
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